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夢の向こう側を探しに行こう

今NYのJFK空港を出て、メキシコのカンクンへ向かっている。理由は大したことはない。航空会社の周遊オプションを試したかったから。NYから近く、しかし普段わざわざ日本からは向かわないカンクンを周遊先に選んだだけだった。

NYからカンクンは4時間ほどの短いフライトなので、普段は選ばない窓側に座っている。

飛行機の窓の外の景色を眺めると「人生であと何回飛行機に乗れるのだろうか」と思いを巡らす。

僕は今42歳。最初に飛行機に乗り、海外を目指したのは31歳の時だった。地元の宮城県から東京に憧れ、20歳で東京で働き始め、ずっと東京で暮らして来た。そして海外は大嫌いだった。
外人は大嫌いだったし、何を言っているかわからないし、気持ちが通じる気も全くしなかった。
もちろんそんな土地に行く魅力など一切感じなかった。今思うとかなり差別的な人間だったはずだ。

20歳の卒業時に就職に迷い、当時少しやっていたDJをきっかけに音楽の道に進むか、学生時代からわざわざ東京の裏原宿に買い物をしに行くくらい好きだった洋服の道に進むかを考えた。
しかし、好きすぎてどちらも選べないから1番稼げそうなIT業界で稼いで、音楽と洋服を買えばいいやと全く興味の無いITの道に進んだ。

ITの中でもシステムエンジニアの仕事は今で言うブラック企業で、残業だけで300時間していた時期もあった。でも、やってみると何かを作る仕事は楽しかった。いつのまにかのめり込んだ結果、子会社を立ち上げることになった。

子会社は最初4人で立ち上げた。スーツを着たBtoBのシステムインテグレーションの会社が、 BtoCのコンテンツプロバイダーの会社を作るのは頭がおかしいとしか思えなかったが、逆に僕以外が出来るとも思えなかったので自分でやることにした。

携帯電話のコンテンツ事業は面白いほどうまくいき100人ほどに一気に成長したが、今も残っている会社はほとんどないくらいに、ある時期からうまくいかなくなった。スマホの登場である。
うまくいかなくなる少し前にこの危機を察知し、会社を売却し、僕はほかの仕事を探した。

楽しかったが、もっと難しい仕事をしたかった。

マーケティングは人間に向き合う仕事だから難しいだろうと思い、30歳を過ぎた頃にマーケティングの道に入った。新しい村に入るなら、誰もやりたがらない難しい道を目指そうと、まだほとんど無かった広告とテクノロジーの融合の道を選んだ。これからお世話になる広告村の役に立ちたかった。

そしてその仕事で31歳で初めてサンフランシスコ/シリコンバレーへ行く。広告テクノロジーのイベント参加のためだったが、イベントの最初でアメリカ国家が流れた。みんな良いスーツ、靴、バッグのエリート達だった。日本のIT企業のよれよれスーツのオタクの僕らとは大違いだった。

話してみるとみんな良い奴だった。前向きに世界を変えようとしてた。一気にみんなを好きになった。

そして何度目かのNYのある日、オバマが大統領になった。黒人初の大統領。
街のみんなが喜んでるのが見れた。

こうして僕の価値観は、いや、偏見は一気に崩れていった。それからの人生は全てに偏見を持たず、自分で見に行く事にした。

こうして知るたびに、自分の価値観や夢は広く大きく作り変えられて行く。海外が嫌いで日本で音楽と洋服を好きなだけ買えればいいやと考えていた僕は、いつのまにか年間何度も海外に行くようになり、少しづつやりたいことや、仕事の幅が広がっている。
今ある夢なんてきっとどんどん塗り変わっていくだろう。とても楽しみだ。

日本のGWは終わるけど僕はもう少しだけ夢の向こう側を見つけてみようと思う。まだ何があるかもわからないカンクンを楽しみながら。

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